「モデルの内面を写したい」
というお話をよく伺います。
取り繕った笑顔や、訓練されたポージングや、そういった作り物ではなくて、
「自然体の姿」を写したい。

カメラの前で「さあ、撮って頂戴」と挑むモデルの姿でなく、
自然なありのままの姿を撮りたいと。

質問です。
あなたには自分の本心を、嘘偽りなく、気取ることもカッコつけることも大げさにすることもなく、さらけ出せる相手が何人いますか?
それは恋人でしょうか?家族でしょうか?親友でしょうか?
もしくはいない?

それから、あなたに自分の本心を、嘘偽りなく、気取ることも、カッコつけることも大げさにすることもなくさらけ出す相手はどれくらいいますか?
それは恋人?家族?親友?

私は、人と人との間にある、自身と他者という壁は果てしなく堅牢で、進撃の巨人のウォールマリアより厚いと思っています。
「内面を写したい。」
ファインダー越しのモデルとカメラマンの間にある壁は、ウォールマリア級なわけですが、それを壁を取り払って、内面を撮れると思っている人は結構いる。
ウォールマリア陥落=人類の危機レベルです。
ポートレート業界には、どれだけ人類を脅かす超大型巨人がいるんだ、とつっこみたくなる。

モデルの彼女が普段SNSなどに上げていない、微妙な憂い顔を見せた瞬間をシャッターに収めた時、照れ笑いをした瞬間を収めた時、彼女の内面を撮ったと思いますか?
内面。
内面ってそんな薄っぺらいものなんでしょうか。

ちょっと毒が濃いですが、真実だと思うので正直に書きますね。
そもそも女、それも被写体をやろうなんて度胸を思った女たちの大半は憂い顔も照れ笑いも計算で出来ますし、変顔にしても自虐ネタとして許せる範囲で披露出来ます。
つまりは、女が他人に内面を見せる瞬間なんてほぼ存在しないんです。特に1対1の撮影でカメラを向けられている時に、自分をダダ漏れにするなんてほぼありえない。
そもそもカメラの前という状況が、非日常な異常な時間であって、相当な精神力を使ってカメラの前に立っている。

では、撮影慣れしていない一般の女の子の緊張した表情を撮ったとして、それって内面を撮ったことになるんでしょうか?

カメラの前に立つ覚悟を持った人間が、それがプロであれアマチュアであれ
カメラマンを信頼し、カメラマンに自分を捧げる。カメラマンはそれを全力で受け止める。そこにあるのは両者の表現として成り立つ内面の模索であり、他人にみせびらかすための内面の模索ではないはずです。

お互いの皮をはいで、欲しいものも、出来ないことも伝えあって、ほんの少しずつ、いらないものを取り去っていって作業を進めていく。
そのとき互いの尊重は大切で、踏み込みすぎてはいけない距離感がその二人によってそれぞれ存在し、それをきちんと互いにわきまえて尊重し合う。
(この距離感を読み取る能力の高さは才能の一つだと感じます。)

「内面が撮りたい」ってものすごい難しいと思うんですね。
最初に質問させていただいたように、、誰かの内面に触れたことや、自分自身はそれをさらけ出したことって人生でそんなにあります?

カメラは他人を暴く道具ではないし、撮影はまず人間同士が尊重しあう行為です。

撮影という場において内面を求めるのであれば、まず誰よりも、そのモデル自身も感動するような、そんな写真が撮れるようになることは必須条件ではないでしょうか。
だってそれは、モデルの信頼を得る一番の近道ですから。

ちなみにこれ、商業写真であれば最も感激させるべきは写真を見る人であり、その制作を依頼したクライアントであり、作るべき物が明確なので、撮影会とは全く違います。この話はまた別の時に書きますね。

素人の、はにかみや照れは、誰にでも撮れます。
それは断言します。
自分だけの写真が撮りたい、自分だけの彼女が撮りたい。
他人の内面を撮りたい。

その意識から、モデルが気を緩めた瞬間にシャッターを切り、モデル本人からしたら他人に晒したくない表情を写し、あげくSNSに拡散していることありませんか?
半目、二重顎、ほうれい線、くしゃくしゃな笑顔、歯が光る笑顔、微妙な表情。あなたにとっては唯一の特別に見えた姿が、モデルにとってそれは好きな自分なのか?他人に晒して良かったものなのか?
それを察して撮影することこそ内面を写すことでもあります。

薄っぺらい内面もどきではなく、思いやりがあるポートレートに写されているのは、カメラマン自身の魅力です。
みなさんモデルだけでなく、自分の魅力にも期待してください。
ポートレートってそういう面白さです。
とんでもなく面白い世界です。

今日も最後までありがとうございました。

よさの麻由

phot by エスカタさん

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